地域活性プロジェクト


現在、私たちが縁ゆかりのある地域において大小問わず私たちの想いと合致したことはできることからコツコツと取り組んでいます。

    横浜:日本を代表する情緒あふれる港町

    横浜市は、現在の総人口は日本の市町村では最も多く、四国地方に匹敵する375万人であり1府37県の人口を上回る。人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐメガシティである。

    幕末以降から外国資本が積極的に進出してきたことで、安政6年6月2日(1859年7月1日)に開かれた横浜港は「金港」とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本の代表的な国際港湾都市へと発展させる礎となった。 外国人居留地には、イギリスやフランス、ドイツやアメリカを中心とした各国の外国商館が立ち並び、今に残る横浜中華街は中国人商館を起源とする。

    そうした発展を遂げるも、第二次世界大戦末期には横浜大空襲により壊滅し、終戦によりイギリス軍やアメリカ軍、ソビエト連邦軍を中心とした連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され都市機能は麻痺した。さらに関東大震災では、東京より震源に近くほぼ直下型地震の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け、各国領事館の建物はすべて倒壊し、山手(横浜)地区の洋館群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。(Wikipediaより一部抜粋)

    そうした幾度となく、急激な発展と壊滅を繰り返し発展してきた横浜は、外国の影響を強く受け、異国文化がたくさん散りばめられている。そのため日本発祥のものが数多く存在する。それがまさに現在の横浜を象徴するように、新旧、日本と異文化が折混ざった情緒あふれる港町を形成する要因となっている。

    近年においては、東京を含む地方からの観光客やインバウンド客の増加に伴い連日ものすごい賑わいになっている。週末ともなれば年中何かしらイベントが開催されどこも満員状態である。これがまさに横浜の課題である。いわゆるガイドブックに載っているようなメジャーどころに人が一極集中しており、かなりのカオス状態。しかし、冒頭に述べたように一言で横浜と言ってもものすごい広域なエリアである。観光客が集中するエリアであっても、1本裏通りに入れば閑散としており、そこには老舗の名店であったり、真新しい今時のおしゃれなカフェがあったりする。要するにお店やサービスがたくさん多すぎるなか、人がいかに情報を得るかそこに課題があるのである。なんでもある、何でも揃っている横浜ならではのジレンマである。つまり、遊びに行く利用者側に選択権があるので、その人々の経験値で横浜の楽しみ方が決まってしまう。そこに介入して、ハマっ子じゃなくてももっと横浜を楽しめるように「過ごし方」を地域で頑張っている人たちを応援しながら、外へ提案・発信していきたいと考えています。

    横浜の魅力を改めてハマっ子目線で発信するサイトを運用中。

検討中施策

  • キャンドルナイトクルーズ
  • オーセンティック・バーの再活性
  • ハマっ子ツアー企画
  • 豪華客船クルーズ客向けサービス
  • 訪日観光客に向けたサービス
  • 相鉄線100周年事業沿線活性企画
  • 地域の商店街の活性企画
横浜スタジアム

横浜DeNAベイスターズ - 横浜スタジアム

飛鳥II

横浜港が母港の豪華客船 - 飛鳥II

みなとみらいの夜景

みなとみらいの夕暮れと富士山

    軽井沢:日本を代表する高原リゾート

    軽井沢町は、雄大な浅間山にいだかれ、緑豊かな自然に恵まれた高原のまちです。明治19年(1886年)にカナダ生まれの英国聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー氏によって、避暑地として内外に紹介されて以来、国際保健休養地としての歴史 と文化を育んできました。軽井沢町の緑豊かな自然は、先人の手によって作り上げられたもので、軽井沢町の歴史や文化の源です。(軽井沢町の条例制定宣言文より一部抜粋)

    その後、軽井沢は東京の富裕層を中心に避暑地として愛用されてきました。大正~昭和初期、世界的に活躍する建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズとアントニオ・レーモンドによって建てられた教会や別荘の影響を受けた別荘も多くこの頃建てられ、周辺には西洋文化を中心としたレストラン、カフェ、オーベルジュなど当時としては最先端なクールでおしゃれなライフスタイルが形成されていました。その結果、軽井沢は高級高原リゾートの代名詞になり高いブランド力を誇るようになりました。

    しかし、そんな軽井沢も人口減少矢経済後退と言った日本全体が抱える地域問題を抱えています。他と違うのは、先に記した特殊な歴史がや文化があり、その当時のステータスが残っていることもあり、町としては東京の富裕層に支えられ税金で潤っていることである。またプリンスホテルグループや星のリゾート、新幹線の駅があるという大手組織による毎年莫大な宣伝効果もあり、一見人の流入や経済活動は活発のように見える。

    実際のところは潤っているのは一部大手資本が介在しているところのみで、もともと軽井沢の文化を支えてきた個人店や小規模な法人によるサービス業は苦しい状況にある。その証拠に、真夏の一番の書き入れ時でさえも、シャッターが閉まったままの空き店舗が目につく。そして皆口を揃えて以前のようにハイシーズンで1年分を稼ぐということはなくなってきており、冬場の収入源を考えなければいけない時期に差し掛かっている。

    そんな軽井沢ですが、世代交代を迎えたり新しい人々の流入により、軽井沢の文化を大切にしつつも次世代へ向けて新たな取り組みを頑張っている人たちが多く存在します。私たちも一つの要因として今後の軽井沢のあり方を考え、多くの縁や出会いを通して地元の方々と協力していきながら軽井沢を盛り上げていきたいと考えています。また憧れの軽井沢へ。

    軽井沢の魅力を海外へネイティブによる英語で発信するサイトを運用中。

検討中施策

  • 現代の観光客ニーズに対応
  • インバウンド対策
  • 時代に沿った情報発信
  • 空き家/店舗、空き別荘対策
  • ライフスタイルにあったサービス
  • 冬場のアクティビティとサービス
Karuizawa Cafe

軽井沢の町を見下ろす絶景カフェ

Christmas Illumination

クリスマス・イルミネーション

軽井沢の別荘

軽井沢の高級別荘

    佐渡島:四季と伝統文化が魅力的な本州最大の島

    佐渡と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか?なんとなく新潟県沖にあるでっかい島くらいではないですか?トキと言われても今の若い子にはピンとこないと思います。トライアスロン関係者にとっては大きなイベント開催地としての認知があるでしょう。それでも佐渡島という名前だけはみなさん知っていると思います。けれど、実際のところ島=海と島民以外に何か特徴あるの?新潟県沖ってことは寒い地域の島?というイメージがありませんか?私たちもお恥ずかしいことに、とある縁をきっかけに調べるまではそう思っていました。

    佐渡市のページによると、一周は約280㎞、面積は東京23区の1.4倍。本州最大の広い島に、6万人弱の人々が、ゆったり・のんびり暮らしています。東京から新幹線と高速船を乗り継げば、最短わずか約3時間30分で到着! 大阪・名古屋・札幌からも、空路を使えば約3時間。新潟沖に浮かぶ島なのに、まわりを流れる対馬暖流のおかげで冬は暖かく雪がかなり少ない! 恵まれた四季のなかで、日本の原風景を楽しめます。佐渡島にはイノシシも熊もサルも鹿もいません。だから安心して大自然を満喫できます。(ハイキング・釣り・山スキー・ダイビングなど)

    魚介類の鮮度と価格は信じられないほど。お米は佐渡コシヒカリ(全国ブランドです)。山菜やキノコもたっぷり採れます!歴史上、佐渡島には全国各地から多くの人々が移住してきました。このため同じ島の中なのに、方言や文化がまったく異なったり、伝統芸能もおびただしい種類が残されています。歴史や民俗が好きな人にはたまりません。野生のトキ(国際保護鳥)がそこらへんを飛んでいます。観光地として有名な佐渡金銀山は世界遺産をめざしています。(佐渡市のページより一部抜粋)

    こうして読むだけでも、比較的アクセスもよく四季折々色々と見所や体験する魅力たっぷりな島だということが伺い知れます。またU・Iターンの人がたくさん住みついていルようですが、まさに私たちの友人もその一人。現在佐渡島を盛り上げて次世代へ繋いで行く様々な取り組みをされています。佐渡の地域の課題は他の地域同様たくさんあるようですが、最大の課題は年間観光客入込数が1991年(平成3年)の121万人をピークとして激減していることへの対応でしょう。特にリピーターの確保が急務とのこと。

    私たちがそうであったように、まず佐渡の情報が入ってこないのも課題の一つだと思っています。もちろん現地の人々は色々なことをしてPRしています。けれどそれは他の地域も同じ。他の地域に埋もれない佐渡ならではの魅力を現代の観光客(海外も含めて)に向けて何がどういう形で求められているのかを今一度整理し、必要によっては手直しをして行く必要があるでしょう。他の地域を同時に見ている私たちだからゆえに見えてくることを、都市部にいる立場から考えたり、実施できることを友人を通して佐渡を応援していきたいと考えています。

検討中施策

  • 空港の再活用
  • 観光スポットの再編
  • 世界的ダイビングスポットへ
  • 豪華客船クルーズ客向けサービス
  • 訪日観光客に向けたサービス
  • 宿泊施設インバウンド対策
  • 地域の商店街の活性企画
佐渡金山

佐渡金山「道遊の割戸」

佐渡おけさ

佐渡おけさ

尖閣湾

尖閣湾

(画像:佐渡市のページより)

    萩:明治維新胎動之地

    萩市(はぎし)は、中国地方の西部、山口県の北部に位置する日本海に面した市。江戸時代に毛利氏が治める長州藩の本拠地となった都市(萩城下町)として有名である。一方を日本海に面し、三方が山に囲まれた都市であり、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が弱かった(交通面では隣の長門市の方が発達している)。山陽新幹線博多駅開業時は観光客が増加し、人口も増加するが、その後は観光客の減少と共に人口も減少した。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査においても、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立つ。

    幕末から戦前にかけては政財界の大物を多く出すなど、かつては中央たる東京への指向が強かったが、近年では、進学・就職なども九州本島への指向が強い。日本海側に位置しているが、大陸に非常に近いことや暖流である対馬海流の影響もあり、比較的温暖な気候である。友好都市提携を拒否された都市観光業と農業、漁業が多い。観光業においては、東萩駅前にあった観光ホテルの廃業や中心商店街などの衰退・全盛期に比べ観光客減少の不況感が漂っており、それらは萩市の大きな課題となっている。(Wikipediaより一部抜粋)

    という萩ですが、日本史はあまり興味関心のない私たちにはまず知り得ない地域でした。今まで歴史的に活躍した政財界の人物の功績を称える内容を中心とした観光誘致が主になっていたからかもしれません。そんな萩と多少なりとも関わることに至ったのは、お世話になっている友人経営者が萩のご出身で、本業と並行して萩の地域活性に取り組んでいらっしゃるからであった。その方を通して萩を応援していきたいと考えています。

地域の課題

  • 人口減少
  • 次世代の継承問題
  • 若手起業家育成
  • 新しい観光資源の発掘
  • 観光客への食のPR
須佐ホルンフェルス

須佐ホルンフェルス

真ふぐ祭り

真ふぐ祭り

松田松蔭誕生の地

吉田松蔭誕生の地

(画像:萩市観光協会のページより)

    利尻島:日本海上に浮かぶほぼ円形の火山

    利尻島は、北海道の北部、日本海上に浮かぶ利尻山(利尻富士、利尻岳とも)を主体とした人口約5,400人の火山島である。島の大部分は利尻礼文サロベツ国立公園に指定されている。

    水産業と観光が主な産業で、特に利尻昆布(礼文島産や北海道本土の稚内市産も含む)は高級品として全国的に有名である。昨今話題沸騰中の「利尻島ラーメン」はその味と「日本一アクセスが困難」という触れ込みから2017年には日本経済新聞の記事などで取り上げられた。利尻島にある「利尻らーめん 味楽」本店は2012年、2017年のミシュランガイド北海道特別で手ごろな料金で食べられるビブグルマン部門に選ばれている。味の秘訣は利尻島で漁獲される昆布の天日干しにあるという。(Wikipediaより一部抜粋)

    利尻島は、日本の百名山でもある利尻山をはじめ、数々の魅力的な観光スポットが沢山あります。原生林に囲まれた、沼に浮かぶ利尻富士が望める絶景は、その景色に吸い込まれるような感覚を覚えます。その他森林浴を楽しんだり、沼周辺を散歩したり、観光地を巡ったり・・・車で島を1周する贅沢な過ごし方もできます。一つは何と言っても石屋製菓の銘菓・白い恋人のパッケージにもなった利尻山多くの方々から「この景色を実際この目で見てみたい」と思わせる絶景スポットがいくつもあります。利尻島と礼文島の楽しみ方は、大きく分けると、「利尻島は観光や高山植物を楽しむ」「礼文島はトレッキングや高山植物を楽しむ」の二つ。アクセスは飛行機とフェリーがあるが、じっくり周りたい人はフェリーがベスト。

    もともと北海道とは縁が何かと多い私たちのところに利尻島出身の方からの相談を受けて、ビジネスの建てつけ支援を実施。現在次のステップに向けてプロジェクト検討中。

地域プロジェクト

  • 利尻昆布の販売
ぱしふぃっくびいなす

豪華客船 - ぱしふぃっくびいなす

利尻昆布

利尻昆布

白い恋人の丘

白い恋人の丘

(画像:利尻島観光協会のページより)

    網走:豊かなオホーツクに活気みなぎるまち

    網走は、オホーツク総合振興局東部に位置しオホーツク海に面している。丘陵地が多く、市街地は網走川河口付近とその南側に続く海岸段丘上の平地にある。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、内陸部は森や農村地帯が広がり、市域は「網走国定公園」の一部となっている。美岬にあるヤチダモの木は「森の巨人たち百選」に選定され、濤沸湖は2005年(平成17年)に「ラムサール条約湿地」に登録された。能取湖や濤沸湖のサンゴ草(アッケシソウ)群落は秋になる湖岸を真っ赤に染め、卯原内のサンゴ草群生地は「日本紅葉の名所100選」に選定されている。1年を通じて晴天が多く、年間降水量・降雪量は少ない。海に面するため寒暖差も少なく、北海道としては比較的温暖な気候になっている網走地方における人類の生活がはじまったのは約2万年前からであるとされている。

    網走市の夏は晴れの日が多く、日照時間が長いのが特徴となっている。1988年(昭和63年)に気候やトレーニング環境が評価され産業別人口は第三次産業の割合が最も高く、次いで第二次産業、第一次産業となっている。農業では北海道内有数の畑作地帯となっており、大型機械を導入した営農集団組織により麦類、馬鈴薯(ジャガイモ)、テンサイを中心とした大規模営農を展開しているほか、ダイコン、ナガイモ、ゴボウなどの野菜類や酪農、畜産も行っている。漁業は網走沿岸において沖合底曳網、きちじ延縄、定置網、ホタテ桁、かに固定式刺網、毛がに篭などにより漁業を営んでいる。網走市は日本最北の捕鯨基地でもあり、市内の捕鯨業者が沿岸小型捕鯨業(捕鯨)を行っている。また、市内には湖が複数あることから内水面漁業も行われており、ホタテ、ワカサギ、シジミ、シラウオ、エビなどの漁が営まれている。観光入込客数は年間120万人から180万人で推移しており、宿泊客の割合は26%から30%となっている。流氷が滞在する冬期間の入込客数が多いのが特徴となっている。(Wikipediaより一部抜粋)

    そんな網走であるが、私たちの中に網走出身がいることもあり様々な縁や友人・知人がたくさんいらしゃします。みなさんが様々な取り組みをあちこちでされていますが、その中でも農業、漁業の領域においては、都市部の食材にこだわりのある料理人やレストランとを直接結び地域食材の販売を行ったり、人々の縁が広がるように各種イベントを開催したり、情報共有をしながら様々なプロジェクトに取り組んでいます。

地域課題

  • 地域資源の再発掘
  • 海外発信
  • 農業、漁業の新販売ルート確立
  • 新たな観光体験の提案
  • その他
天都山

天都山

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網走監獄

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流氷まつり

(画像:網走市観光協会のページより)